9月の園長室だより

9月の園だより

日本が年々熱帯化しているのが、目に見えてわかるようになって来ました。中国地方の都市部ではミンミンゼミは姿を消し、日本各地でみられるゲリラ豪雨、台風の動き方なども、今までとはずいぶん違ってきました。今年は特に長い梅雨で冷夏になるかと思いきや、残暑がいつまでも厳しいのだとか。皆様はお元気だったでしょうか?
 いよいよ2学期、すぐバザーとなりますが、昨年に引き続き執行さん方のお骨折りで園内もすっきり、スリム化したバザーとなりそうです。第3者的に少し寂しくなったかななどと感じても、準備をする方々のことを考えて、皆さんで、笑顔で盛り上がるバザーにしていきましょう。
 来年度からは飛躍の年。縦割り保育に向けて、子どもたちも環境に少しずつ慣れるよう、高価なもののため一度にとはいきませんが、教具類や棚など、徐々に増やしていっています。2学期の行事に追われることなく、地に足の着いた「普段」を大切に準備していきたいと思います。

9月の宗教だより(よろこびの訪れ)

「マルタとマリア」(ルカ10・38~42)

 私たちは、日ごろお客様をお迎えするとき、どのような準備をするでしょうか?お客様の種類にもよるでしょうが、掃除をして、花を飾って、おいしい食事やお茶を用意して…など、かなりの神経を使い、翌日にはどっと疲れが出てということもあるかもしれません。しかしこの疲れは、多くの場合、喜びとともにあるのではないかと思います。孫が帰っていった後の疲れに似ているという声も聞こえてきました ▼ベタニアというところでの出来事。イエスの母マリアではありません。マリアという名前はごくありふれた、たくさんある名前だったようです。この兄弟は、イエス様を迎え入れました。前々からわかっていた来客ではなく突然のことだったようです。私のうちではまず無理です。さあ大変です。姉のマルタは、いかにも姉らしくせっせと立ち振る舞い、イエス様をもてなそうとします。しかしふっと気が付くと、妹のマリアは何にもしないで、お客様と一緒におしゃべりをしているだけです。このシチュエーション、皆さんも身に覚えがありませんか?その時あなたはどっちだったのでしょう ▼この二人の立場は、修道院(神に仕える人々のいるところ)で「観想修道院」と「活動修道院」の二つの考え方の基本になっていると聞いたことがあります。一日中祈り続けて、酪農や農業などをやって自給自足の生活をしている修道院と、学校や福祉施設を経営したり、開発途上国へ行って積極的に社会に貢献したりする修道院の違いです。この聖書の話、マルタとマリアのどちらが…と議論になるところですが、どちらのタイプの修道院もあるとなると、どちらが良い悪いではないのでしょう。私たちはここから何が学べるでしょうか? ▼マルタはせっせと給仕に余念がありません。誠心誠意「おもてなし」です。一方マリアは客人とおしゃべりばかりをしているのです。マルタには、「妹がさぼっていて自分ばかりが…」と映ったのでしょうか、あろうことかお客様に愚痴ります。「イエス様、妹にも手伝うように言ってやってください」。ところで、我々は組織で動くときに「接待係」というのを設けますが、大体複数人で、話し相手とお茶運びとに分かれます。マリアがもしマルタと一緒に給仕ばかりをしていたら、お客様をしばらくは放っておくことになるかもしれません。これも別の形での「おもてなし」なのでしょう。どちらも大切なのだと思います。イエスはマルタに対して、優しく諫めます。「必要なことはただ一つ。それを取り上げてはならない。」イエスがマルタを諫めたのは、話を聞くことを選択しなかったからではありません。愚痴ったことに対してなのだと思います。

≪聖書を読む会≫
 * 9月18日(水)10:00 ~ 11:15、幼稚園聖堂
≪ヨセフ会≫
 * 次回、10月17日(木)19:00 ~ 20:30、ヨゼフ館2F1201JA